兼好法師の東金道中

兼好法師(学生・漫才コンビ)の二人が、徳川家康[1]と伊能忠敬[2]に扮して東京紀尾井町から千葉東金まで3日間かけて歩きます。道中どのようなハプニングが起こるか、どのようにハプニングを解決するのか、水戸黄門を見るような思いでご覧ください[3]。

IMG_0047出発時の様子です。(中央はメディア学部長:歩きません)

 なぜ歩くのか
徳川家康は、その昔、船橋宿から東金(当時は「鴇嶺(ときがね)」)を鷹狩の地として好み、東金には「鴇嶺城(ときがねじょう)」を、船橋と東金を結ぶ東金街道を造営し、東金を愛していました。一方、伊能忠敬は、東金の隣の九十九里町(当時の上総国山辺郡小関村)生まれ育ちました。成人後は、佐原で豪商として名をはせ、50歳になってから江戸へ出て測量の修業を積み、その後、全国を測量して有名な『大日本沿海輿地全図』を完成させました。
時代も、身分も違った二人ですが、現代の世の中によみがえり、二人にゆかりの深い江戸(東京)と鴇嶺(東金)を歩いて結びます。時空を超えたロマンにご期待ください。

どんなコースを歩くのか
二人が歩くコースは、当然「東金街道」を厳密にたどるものではなく、「なんとなくその辺りで歩きやすい道」(兼好法師:吉田談)となります。時空を超えた柔軟性が、二人をルート選びにも柔軟性をもたらしたようです。

東金道中ルートマップ

いつからいつまで歩くのか
2015年11月1日午前10時30分にスタートし、11月3日午前11時までにはゴールの予定です。(家康の股ずれの心配があり、余裕のあるスケジュールとなっています)


[1]徳川 家康(とくがわ いえやす、旧字体: 德川家康)、または松平 元康(まつだいら もとやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人で海道一の弓取りの異名を持つ。天文11年12月26日(1543年1月31日)~元和2年4月17日(1616年6月1日)
[2]伊能 忠敬(いのう ただたか[注釈 1]、延享2年1月11日(1745年2月11日) – 文化15年4月13日(1818年5月17日))は、江戸時代の商人・測量家である。通称は三郎右衛門、勘解由(かげゆ)。字は子斉、号は東河。寛政12年(1800年)から文化13年(1816年)まで、足かけ17年をかけて全国を測量し『大日本沿海輿地全図』を完成させ、日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした。延享2年1月11日(1745年2月11日)~文化15年4月13日(1818年5月17日)
[3]天候、疲れ、家康、忠敬の気分によっては、現代風衣装で登場する場合があります。あらかじめご了承ください。

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